
「うちは兄弟が多いけれど、みんな仲がいいから大丈夫」 「財産と言っても家一軒くらい。揉めようがないでしょう」
そう思っていらっしゃる方、多いです。
でも、相続の現場で本当に困るのは「揉めるかどうか」ではありません。手続きが前に進まないことなんです。そして、相続人の人数が増えるほど、この「進まない」リスクは跳ね上がります。
なぜそうなるのか。順番に見ていきましょう。
1 すべての手続きは「全員の合意」から始まる
結論。遺言書がなければ、相続人が一人でも欠けた話し合いは無効です。
遺産分割協議とは、亡くなった方の財産を誰がどう受け取るかを、相続人全員で話し合って決めることです。
この協議には、法定相続人全員の参加が必要です。一人でも参加していなければ、その協議は無効。後から相続人が判明した場合も同じです。多数決ではありません。9人が賛成しても、1人が反対すれば成立しない。
では、実際にどんな場面で効いてくるか。預金の解約、不動産の名義変更、株式の移管。どれも「相続人全員の署名と実印、印鑑証明書」を求められます。相続人が5人いれば、5人分。印鑑証明書は各自が役所で取るしかありません。
つまり、人数が増えるほど、必要なハンコの数と連絡の手間が比例して増えるわけです。
2 数字で見る「揉めごと」の実態
家庭裁判所で解決した相続争いの約8割は、遺産5,000万円以下です。
最高裁判所の司法統計年報(家事編・第52表)によると、遺産分割事件8,321件の内訳はこうなっています。
| 遺産価額 | 件数 | 割合 |
|---|---|---|
| 1,000万円以下 | 2,938件 | 約35% |
| 1,000万円超〜5,000万円以下 | 3,519件 | 約42% |
| 5,000万円超〜1億円以下 | 約944件 | 約11% |
| 1億円超 | 約601件 | 約12% |
5,000万円以下だけで6,457件、全体の約78%。争いは「お金持ちの家の話」ではありません。
むしろ、遺産3,000万円のうち2,500万円が実家、というご家庭ほど分けにくいのです。現金が少なければ、公平に分ける方法が限られます。
「うちは相続税がかかるほどじゃない」——そう思う方は多いです。実際、課税対象は亡くなった方の約1割(国税庁)。でも、もめる原因は税金ではなく、分けにくい財産と相続人の数です。
3 「人数が増える」のは、待っている間にも起きる
ここが最大のポイントです。結論から言うと、相続人は、放っておくと勝手に増えます。
数次相続とは、ある人の相続手続きが終わらないうちに、その相続人も亡くなってしまい、相続が重なることです。 亡くなった相続人の権利は、その配偶者や子どもに引き継がれ、枝分かれ式に増えていきます。
例えば、お父さまが亡くなり、相続人は長男・次男・長女の3人。ところが手続きを先延ばしにしているうちに、次男が亡くなった。次男には妻と子ども2人。すると相続人は長男・長女・次男の妻・次男の子2人の計5人になります。さらに10年放置すれば、面識のない甥や姪、その配偶者まで巻き込むことになる。
こうなると、戸籍を集めるだけで数か月。全員と連絡を取り、事情を説明し、納得してもらう。想像してみてください。会ったこともない親戚から「ハンコを押してください」と手紙が来たら、あなたはすぐ押せるでしょうか。
なお、相続登記は令和6年4月1日から義務化されました。不動産の取得を知った日から3年以内に申請しないと、10万円以下の過料の対象になります。施行前に開始した相続も対象で、期限は令和9年3月31日まで。「そのうち」が通用しなくなったということです。
4 家族に「特別な事情」があると、さらに複雑に
結論。遺言書がないと、家庭裁判所の手続きが追加で必要になります。
ひとつずつ見ていきます。
行方不明の方がいる場合。裁判所の説明では、従来の住所を去り容易に戻る見込みのない人(不在者)について、家庭裁判所が不在者財産管理人を選任できます。この管理人が、権限外行為許可を得たうえで、本人に代わって遺産分割に参加します。申立費用は収入印紙800円と郵便切手ですが、注意すべきは予納金。不在者の財産では管理費用や報酬をまかなえないと判断されると、申立人が相当額を納めることになります。
未成年のお子さんがいる場合。親権者である母と未成年の子が、どちらも相続人として遺産分割をする。これは民法上の「利益相反行為」にあたります。母親が子どもの代理人を兼ねると、子の取り分を減らすこともできてしまうからです。そこで家庭裁判所に特別代理人の選任を請求します。費用は子ども1人につき収入印紙800円と郵便切手。同じ親権に服する子どもどうしの間でも、同様に必要です。
判断能力が不十分な方がいる場合も、代わりに協議へ参加する人を裁判所に選んでもらう必要があります。
これらはいずれも、遺言書で分け方を決めておけば、遺産分割協議そのものが不要になるため回避できる可能性があります。手続きの重さを考えると、この差は決定的です。
5 遺言書があると、何がどう変わるか
| 項目 | 遺言書がない場合 | 遺言書がある場合 |
|---|---|---|
| 決め方 | 相続人全員の話し合い | 遺言の内容どおり |
| 必要な同意 | 全員一致 | 不要 |
| 一人反対したら | 進まない(調停・審判へ) | 影響なし |
| 行方不明者・未成年者 | 裁判所の手続きが追加 | 回避できる可能性 |
| 手続きの担い手 | 相続人全員で分担 | 遺言執行者に任せられる |
とくに大きいのが、最後の遺言執行者です。遺言の内容を実現する役割の人を、遺言書のなかで指定しておけます。預金の解約や不動産の名義変更を、この人が単独で進められる。相続人全員を集める必要がなくなります。
「誰がまとめ役をやるのか」という、いちばん揉めやすい部分が、あらかじめ決まるわけです。
6 10年という区切りにも注意
結論。遺産分割には、実質的な期限ができました。
令和3年の民法改正で、相続開始から10年を過ぎると、原則として特別受益(生前にもらった分)や寄与分(介護などの貢献分)を主張できなくなりました。令和5年4月1日施行で、施行前に発生した相続にも一定の経過措置つきで適用されます。
「長年親の面倒を見てきたのだから、その分を考慮してほしい」。そう思っていても、10年を過ぎれば法定相続分どおりの機械的な分け方になる。時間は味方をしてくれません。
まとめ
相続人が多い家庭で遺言書が必要な理由は、シンプルです。
全員の合意という高いハードルを、飛ばせるから。時間が経つほど相続人が増えるという連鎖を、止められるから。そして、裁判所の手続きを追加せずに済む可能性が高いから。
「仲がいいから大丈夫」は、残念ながら理由になりません。仲の良し悪しではなく、人数と手続きの問題だからです。
ご家族の顔ぶれを紙に書き出してみてください。何人になりますか。その全員に連絡が取れそうですか。そこで少しでも不安を感じたら、それが準備を始めるサインです。
「うちは相続人が何人になるの?」という確認からでも構いません。どうぞお気軽にご相談ください。
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